論文別刷りの整理収納-2

論文書きした証拠物でもある論文別刷り・リプリントは一体誰のモノか?

前回の記事の続編です→(論文別刷りの整理収納-1

ポケットマネーで購入しているなら個人のもの?
でも、その研究成果を出すためには所属組織のお金も、そして大学や公立の研究所だったら税金も使われたはず。

つまり、別刷りを買うためのお金を払ったのは個人だったとしても、厳密には個人のものとは言えない。結局は他の備品や機器と同じく、組織として不要、という判断をしてもらわないと捨てられない面倒臭さがあります。

あるラボで処分した別刷りの束

結局はこういうものがどれだけ整理できるかは、その時のラボ管理者(PI)の考え方次第

ラボの歴史資料と考えるか、古紙と考えるか。
全部無条件保存なのか、少しだけでいいのか、それとも全捨てか、といった決断はPIができるはずです。

確かに論文がアクセプトされた時の喜びや冊子になって世の中に出た時の喜びは格別です。論文一報書くために費やす労力は膨大で、人生の少なからぬ時間をこのためにつぎ込んでいる訳ですから。

でも、

Nature とかScience 系 の一流誌で、綺麗なカラー表紙がつけられているものであっても、それはただの紙です。(やっぱり何百部も取っておくと場所を取ります。それに紙質が良いので重量も相当なものです。)

もう、内容は図書館でもネットでも見られるし、成果は世界の共有財産となっているのですから、書いた人の義務は果たされています。

過去の研究成果はもうデジタル情報としてストックされて、手元のコンピューターで検索すれば手に入る状態になっています。

それでも何年も保管しているとしたら、もうそれは思い出グッズというカテゴリー

使ってないけど捨てられない、わかっちゃいるけど捨てられない、というモノです。

それなら、先輩研究者の努力を讃えるために、額に入れて飾るとか、いつでも手にとって見られるように一部ずつファイルしてわかりやすいところに置くとか、有効に使うことはできないでしょうか。

ただ、現役の研究者にとっては、過去の先輩の栄光より、これから何をするか?が大事なはず。

できればラボや研究室には思い出のものは残さない。整理のため時間を割くことを次の人に押し付けない。
それは研究室で働く人が次の研究者のためにできることの一つだと思います。